「蓄積」の話

個人的な思い

人は成長と供に、知識を蓄積していく。

漢字の量、英単語の量、語彙力、計算の方法など、

勉強面ではこんな感じ。

生活面でも、歩く、トイレに行く、服を着替えるとか、

おはよう、おやすみとかの挨拶とか。

成長と供に、できる事が増えていく。

できることを蓄積していく。

そして、年老いていくと出来ていたことができなくなっていくのかな。

まだ、経験してないから分からないけど。

蓄積していくのは、上に積み重ねて行くイメージだ。

じゃあ高く積み上げるにはどうしたら良いか?

それは、土台を広くすること。

知識を蓄積するのが積み上げていくイメージなら、

土台部分が、広くないとより高く積み上げれない。

土台部分というのが、ありとあらゆる基礎ということになる。

何かをやり抜く土台が狭ければ、その上に何かをやり抜くという能力を

積み上げることができない。

細分化していくと、計算の土台が狭ければ、、、。

言葉の土台が狭ければ、、、、。

ということになってしまう。

だから、基礎教科毎の基礎ももちろんだけど、

勉強の能力の基礎部分をいかに広くして成長していけれるのか。

これが、鍵を握ってくる。

幼少期から、褒められたりして伸ばしていける部分。

絵本を読んだりして、伸ばして行った部分。

そういう積み重ねの上に、今がある。

その時はなにも感じないかも知れないけど。

そうやって蓄積していったものが今の自分。

まだまだ伸ばせるはずだ。

ある程度成長したあとでも。

自分の意志で変えられるはずだから。

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